上田上学区の歴史
年号 | 西暦 | 事項 |
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旧石器時代 | 約2万年前 | 田上山中でサヌカイト製ナイフ型石器や石槍が使用される |
縄文時代~弥生時代 | 縄文時代晩期・奈良時代・平安時代の土器破片が出土する(森添遺跡) | |
古墳時代 | 500~599 | 新免古墳群・将軍塚・馬塚及び伝承陵山古墳が造成される |
天智6年 | 667 | 天智天皇が近江(志賀)に都を造営する 荒戸神社を勧請する |
天智7年 | 668 | 牧庄に官牧を設けて馬を飼育させる |
持統8年 | 694 | 藤原宮造営のため田上山より桧材を伐り出し瀬田川・宇治川・木津川を経て奈良へ搬入する |
養老4年 | 720 | 日本書紀に「谷上」と記されている |
天平3年 | 731 | 快堂が安楽寺を開基する(明治初年廃寺) |
天平5年 | 733 | 良弁が金勝山中に金粛寺(金勝寺)を建立する |
天平14年 | 742 | 聖武天皇が紫香楽宮を造営する |
天平勝宝4年 | 752 | 東大寺を含む奈良七大寺建立のため田上山より桧材を伐り出す 良弁が石山院(石山寺)を建立する |
天平勝宝6年 | 754 | 田上山作所より石山寺増築用材を供給する |
天平宝享3年 | 759 | 万葉集に「田上」と記されている |
奈良時代 | 710~784 | 桐生辻の山中より「和銅開珎]が発見される (桐生辻遺跡) 平野で鉄滓が発見され製鉄所跡と推定される (大塚遺跡) 万葉集に藤原宮の役民作歌が掲載される |
延暦5年 | 786 | 比叡山寺建立のため信楽地方から大量に桧材を伐り出す |
貞観1年 | 859 | 円珍が太神山に不動寺を建立する |
天慶3年 | 940 | 田上一帯が荘(庄)園化する |
鎌倉時代 | 1192~1322 | 桐生山中に磨崖仏(逆さ三尊)を彫刻する |
建長8年 | 1256 | 田上杣人と右近衛府・左兵衛府駕輿丁が中郷について争う |
南北朝時代 | 1333~1391 | 田上氏や沢氏が足利尊氏軍の武将として活躍する |
応安2年 | 1369 | 曇瓊田畠譲状に田上庄内の地名として「牧・中庄・杣」が存在する |
正長元年 | 1428 | 田上中庄領家職の領有をめぐって建部社と北野社近江守の間に相論が起こる |
永享11年 | 1440 | 田上牧庄と田上杣庄が境界を争い湯起請をさせられる |
寛正2年 | 1461 | 常在光寺が田上杣庄の領有復活を幕府に訴える |
応仁2年 | 1468 | 足利義視の軍勢が田上の里を焼き払う |
応仁元年以降 | 1467以降 | 中野氏が地方武士として活躍する |
応仁元年頃 | 1467~1468 | 荒戸に中野城が築造される |
長享2年 | 1488 | 北野社が田上中庄代官職に中野宗成を任命する |
永禄7年 | 1564 | 田上牧庄の諸侍が六角氏に誓紙を提出する |
天正11年 | 1583 | 瀬田城主浅野長吉の知行地が存在し牧507石余・中野718石余・大鳥居209石・桐生74石余を課せられる |
元和8年 | 1622 | 膳所藩が芝原に新田開発を奨励する |
寛永11年 | 1634 | 近江国石高帳により後の上田上八ヶ村が膳所藩の所属となっている |
貞享~元禄年間 | 1684~1704 | 田上川の土砂流入のため牧・平野の耕田の排水不可となり邸地も湿地化する |
元禄年間 | 1688~1703 | 牧・平野山手へ移住する |
宝永4年 | 1707 | 水害予防のため人夫5000余を出役させ牧・堂間の流路を変更する。新川筋を「大戸川」と改称する |
宝永5~6年 | 1708~1709 | 大戸川の氾濫により大被害を受け中野・芝原が現在地へ移住する |
宝永5~明和8 | 1708~1772 | 64年間に大水害が17回発生する |
宝永6年 | 1709 | 大洪水により芝原堤防249間にわたり決壊する |
宝永7年 | 1710 | 大戸川氾濫により牧木造り堤防が決壊する |
正徳2年 | 1712 | 牧・芝原・新免に大津宿の助郷を命ぜられる |
正徳6年 | 1716 | 牧庄六ヶ村が請山の規則を定める |
享保5年 | 1720 | 牧庄六ケ村が甲賀郡田代村の柴・薪の通行運搬を拒む |
元文~慶応年間 | 1736~1867 | 中野代官所が牧庄・中杣庄・下杣庄の32ヶ村を統治する(最高36ヶ村) |
寛保元年 | 1741 | 膳所藩より6ヶ所の新砂溜に牧・平野・中野・芝原・新免・桐生・岡本・馬場・部田の9ヶ村が出役を命ぜられる このため9ヶ村庄屋は、草津宿の助郷免除を願い出る |
寛保年間 | 1741~1744 | 桐生村佐治兵衛の女が出庭法香寺の僧より越前製紙法を伝習する |
宝暦2年 | 1752 | 不動越え荷物運送をめぐる牧庄5ヶ村と里村等3ヶ村の相論が解決する |
享和2年 | 1802 | 大戸川堤防決壊のため堂村23戸のうち20戸流失し現在地へ移住する 新免村古屋敷(田上中学校付近一帯)より現在の高台へ移住する |
嘉永2年より前 | 1849より前 | 桐生村より分村する (桐生正休寺の檀家であり箭簳神社の御分身を祀る) |
安政2年頃 | 1855頃 | 草津川堤防が桐生新橋付近で決壊し死者一名・負傷者数名が出て当地の先住者は高台へ移住する |
慶応2年 | 1866 | 大戸川畔に運河をつくり高瀬舟を通す |
明治4年 | 1871 | 廃藩置県により膳所藩が膳所県となり後大津県に編入される |
明治5年 | 1872 | 大津県を滋賀県と改称する 牧・平野・中野・芝原・堂・新免の6ヶ村が栗太郡第1区に、桐生・大鳥居の2村は栗太郡第2区所属となる 上田上・長野・雲井各村で内務省が砂防工事が開始される 瀬田川流域と野洲川流域の砂防工事が始まり長野・雲井・上田上の各村に国費2万円が計上される |
明治7年 | 1874 | 新免・森・羽栗の3ヶ村を学区とする中行学校が開校する |
明治8年 | 1875 | 牧・平野の2ヶ村を学区とする平牧学校、中野・芝原・堂の3ヶ村を学区とする植田学校、大鳥居・桐生辻には誘説学校が開校する |
明治9年 | 1876 | 桐生を学区とする桐生学校が開校する 平牧学校が養驥学校と改称する |
明治10年 | 1877 | 植田学校が興志学校と桐生学校が鳳鳴学校と改称する |
明治19年 | 1886 | 養驥学校と興志学校が合併し簡易科大戸小学校が誕生する 鳳鳴学校が簡易科鬼川小学校に誘説学校が簡易科唐辻小学校と改称する 中行学校が百合小学校に吸収合併する |
明治21年 | 1888 | 簡易科大戸小学校が尋常科大戸小学校と改称し牧・平野・中野・芝原・堂・新免が通学区となる 簡易科鬼川小学校を簡易科桐生小学校に簡易科唐辻小学校を簡易科大鳥居小学校と改称する |
明治22年 | 1889 | 町村制実施により上田上村が誕生する (大鳥居・桐生・牧・平野・中野・芝原・堂・新免の八ヶ村) 尋常科大戸小学校を尋常科上田上小学校と改称する 桐生にオランダ堰堤が完成する |
明治25年 | 1892 | 尋常科上田上小学校を上田上尋常小学校と改称する 同じく桐生尋常小学校・大鳥居尋常小学校と改称する |
明治27年 | 1894 | 日清戦争が始まる |
明治28年 | 1895 | 桐生・志津村岡本間の道路を改修する |
明治31年 | 1898 | 大鳥居尋常小学校と桐生尋常小学校が廃止され上田上尋常小学校の分校となる 上田上尋常小学校を上田上尋常高等小学校と改称する |
明治37年 | 1904 | 日露戦争が始まる |
明治42年 | 1909 | 上田上村青年会が発足する |
明治43年 | 1910 | 郷歌を制定する |
明治44年 | 1911 | 桐生に京都西陣から箔押しの技術が伝わる 牧発電所(京都電燈株式会社)が竣工し村内へ送電・点灯が開始される |
明治45年 | 1912 | 上田上尋常高等小学校で夜学が始まる |
大正3年 | 1914 | 村役場が新築される 大鳥居発電所(京都電灯株式会社)が竣工し送電・点灯が開始される 第一次世界大戦に参戦する |
大正6年 | 1917 | 桐生に天理教田上宣教所が開設する |
大正7年 | 1918 | シベリア出兵が始まる |
大正10年 | 1921 | 上田上信用販売購買組合がつくられる |
大正10年頃 | 1921頃 | 江戸時代後期より続いた太鼓踊りが消える (大鳥居・桐生・牧・中野・堂) |
大正11年 | 1922 | 上田上郵便局が開設する |
大正13年 | 1924 | 上田上実業補習学校が開校する |
昭和6年 | 1931 | 満州事変が起る |
昭和7年 | 1932 | 石山駅・牧間に定期バスが開通する 上海事変が起る |
昭和8年 | 1933 | 上田上尋常高等小学校に講堂が落成する |
昭和9年 | 1934 | 小学校南校舎が台風のため倒壊する |
昭和11年 | 1936 | 小学校に鉄筋コンクリート校舎が落成する 上田上郵便局で電話交換事務が開始される(加入11名) |
昭和12年 | 1937 | 各村に農業実行組合がつくられる 桐生の樋の口県道が開通する 上田上村主婦会が結成される 蘆溝橋事件が起る 北支事変と改称する 支那事変と改称する |
昭和13年 | 1938 | 牧・平野間に村道が開通する |
昭和14年 | 1939 | ノモンハン事件が起る |
昭和16年 | 1941 | 上田上尋常高等小学校を上田上国民学校と改称する 大東亜戦争と改称する (米・英・蘭に宣戦布告する) |
昭和20年 | 1945 | 太平洋戦争が終結する 第一次農地改革が行なわれる |
昭和21年 | 1946 | 第二次農地改革が行なわれる 草津川に桐生大橋が架かる |
昭和22年 | 1947 | 学生改革六・三・三制が実施される 上田上村立上田上中学校が開校する 上田上国民学校を上田上小学校と改称する |
昭和23年 | 1948 | 上田上農業協同組合が認可される 組合立田上中学校(上田上村・下田上村)が設置される 組合立栗南中学校(田上中・大石中・瀬田中)と改称され現校舎を使用する |
昭和24年 | 1949 | 組合立田上中学校と組合立栗南中学校とに分離する |
昭和25年 | 1950 | 石山駅・牧間に定期バスが再開通する |
昭和26年 | 1951 | 新免に田上中学校の新校舎が落成する 大津市・上田上村組合立田上中学校と改称する 桐生に正休寺保育園が開設する |
昭和27年 | 1952 | 上田上村立田上中学校と改称する 桐生に治山事務所が開設される |
昭和28年 | 1953 | 平野に村立国民健康保険直営診療所が開設される |
昭和30年 | 1955 | 上田上村と瀬田町が合併し瀬田町が誕生する 瀬田町立上田上小学校・瀬田町立第二中学校と改称する |
昭和31年 | 1956 | 県道大津信楽線の瀬田山峠を切り下げる 湖南バスの石山新免経由桐生線が開通する 上田上小学校桐生分校を移転する 上田上幼稚園々舎を平野に竣工する |
昭和33年 | 1958 | 上田上小学校大鳥居分校の校舎を建てかえる |
昭和34年 | 1959 | 牧に瀬田町役場上田上支所を竣工する 上田上農協が旧村役場を取得移転する |
昭和35年 | 1960 | 田上中学校体育館が落成する |
昭和36年 | 1961 | 農協有線放送電話が開通する |
昭和38年 | 1963 | 漱田町農業協同組合が発足する |
昭和39年 | 1964 | 上田上小学校の本館及びプールが竣工する |
昭和41年 | 1966 | 全村の町道を舗装する 上田上小学校大鳥居分校が廃止される |
昭和42年 | 1967 | 瀬田町と大津市が合併する 南部浄水場完成に伴ない牧・平野・中野・芝原・堂・新免に給水する 上田上学区に体育協会が発足する 上田上小学校桐生分校が廃止される 大津市立上田上小学校・大津市立田上中学校と改称される 上田上老人クラブ連合会が発足する |
昭和43年 | 1968 | 大戸川ダム予備調査が開始される |
昭和44年 | 1969 | 上田上学区社会福祉協議会が発足する 大津警察署上田上駐在所を新築移転する 牧に田上郷土史料館が開設される 田上山砂防協会が発足する 桐生に簡易水道が敷かれ給水を始める |
昭和45年 | 1970 | 新免にフィンランド学校が開校する 桐生山一帯が自然休養林に指定される |
昭和46年 | 1971 | 桐生に大津市立教育キャンプ場を開設する 桐生・平野の農地を伊吹建設が買得する |
昭和49年 | 1974 | 田上山砂防100周年記念式典が行なわれる |
昭和51年 | 1976 | 大鳥居に簡易水道が敷かれ給水を始める |
昭和52年 | 1977 | 上田上学区同和教育推進協議会が発足する白百合自治会が上田上学区自治連合会に加盟する田上中学校鉄筋コンクリート校舎が竣工する |
昭和53年 | 1978 | 交通安全協会上田上支部が発足する 大戸川ダム調査事務所が開設される 大戸川ダム対策協議会が発足する |
昭和54年 | 1979 | 上田上学区青少年育成学区民会議が発足する |
昭和55年 | 1980 | 上田上市民センターが竣工する 上田上小学校体育館が落成する |
昭和56年 | 1981 | びわ湖国体が開かれ上田上婦人会が団体演技に出場する 桐生に「特別老人ホーム桐生園」が開設される 萱尾川改修工事説明会 |
昭和57年 | 1982 | 上田上幼稚園新園舎が落成する |
昭和58年 | 1983 | 桐生に農業集落排水工事が開始される |
昭和60年 | 1985 | 田上山砂防協会が建設大臣表彰を受ける |
昭和61年 | 1986 | 田上山砂防協会が内閣総理大臣表彰を受ける 大戸川ダム実施計画各協定の調印が行なわれる 飛島都市開発の起工式が行なわれる 中野に瀬田町農協ライスセンターが竣工される |
昭和62年 | 1987 | 芝原・中野の梨の木川・明曽川の改修工事が始まる 桐生のふれあい村に「農村文化ふる里資料館」が開設する |
昭和63年 | 1988 | わが町市民会議が開かれる 町の木(シンボルツリー)が各町に制定される |
平成元年 | 1989 | 大戸川ダム工事事務所が開設される 上田上土地改良区設立準備委員会発足 青山グリーンヒル大津への入居が始まる |
平成2年 | 1990 | 青山一丁目自治会が発足され上田上自治連合会に加盟する |
平成3年 | 1991 | 萱尾川改修工事完了 |
平成4年 | 1992 | 大津市立青山幼稚園・大津市立青山小学校が開設される |
平成5年 | 1993 | 瀬田町農協が大津市農協と合併(レーク大津農協)する。全国組織となり略称(J・A)を用いる 10月 大戸川ダム移転宅地造成工事起工式(大鳥居) 牧町農業生産組合が設立される 上田上(牧・平野深田・堂・新免)圃場整備事業起工式 |
平成6年 | 1994 | 青山五丁目自治会が発足する 牧遺跡が発掘され、縄文早期末・弥生・鎌倉~室町・江戸時代の竪穴住居跡・石器・土器・墓地・人骨・川の跡が出土・発見される 堂町農業生産組合が設立される |
平成7年 | 1995 | 1月 阪神淡路大震災 青山二丁目自治会が発足する 草津川砂防学習ゾーンモデル事業が竣工する。(桐生オランダ堰堤から下流一帯) 大鳥居集団移転地造成工事完了。分譲開始される町名を「大鳥居」と命名する 第二名神高速道路事業説明開始(~平成13年) |
平成8年 | 1996 | 青山三丁目自治会が発足する 平野に京大生態学研究所が開所する |
平成9年 | 1997 | 学区地域振興対策協議会が発足する 新免に経営システム改善施設(営農組合)が開設される 大鳥居町で閉町式が行われ、続いて「大鳥居」が誕生する 桐生辻遺跡(和銅開珎)の再発掘により、縄文・弥生・平安・明治以降四時代の石器・土器等が出土する |
平成10年 | 1998 | 大津市制一〇〇周年記念行事が行われる 青山中学校が開校され、青山地域と桐生の生徒が通学する 大津警察署の上田上駐在所が建て替えられる |
平成11年 | 1999 | 桐生山中で第二名神高速道路導杭トンネルが貫通する 田上中学校創立五十周年記念行事が行われる 上田上地域公共下水道敷設開始県道大津信楽線付け替え工事着手 |
平成12年 | 2000 | 日本・オランダ修交四〇〇周年記念式典が関係各地で行われ、桐生のオランダ堰堤に蘭国の環境副大臣・築造指導者ヨハネス・デ・レーケの孫も来訪され歓迎式に臨席される 青山六丁目自治会が発足する |
平成12~16年 | 2000~2004 | 梨の木川改修 |
平成13年 | 2001 | 第二名神高速道路連絡路用地買収が開始される 上田上幼稚園創立五十周年記念事業が行われる 上田上圃場整備工事完了 |
平成14年 | 2002 | 青山七丁目自治会が発足する |
平成15年 | 2003 | 新名神高速道路延伸工事事業凍結(大津以西) |
平成17年 | 2005 | 住居表示変更(「上田上表示」消える) 大戸川ダム建設計画中止 |
平成19年 | 2007 | 青山学区(青山・桐生・松ヶ丘)が上田上学区から分離 大戸川ダムは治水専用ダムとして計画再開 |
平成20年 | 2008 | 「淀川水系の整備計画には大戸川ダムは位置づけない」として大戸川ダム中止に合意(四府県知事合意) 2月 第二名神高速道路大津ジャンクション開通 |
平成21年 | 2009 | 大戸川ダム本体工事凍結(大津信楽線県道付替工事は継続) |
平成23年 | 2011 | 3月 東日本大震災 |
平成24年 | 2012 | 新名神高速道路事業再開(許可) |
平成25年 | 2013 | 上田上小学校(昭和11年建立コンクリート校舎)建替竣工 9月 18号台風災害 牧千石岩付近県道崩落 県道大津信楽線数か所崩落 堂橋付近児童公園越水し芝原・新免・堂農地水没 石居橋付近越水し田上田地水没 流域家屋浸水60戸 大戸川中下流河川整備事業開始 |
平成27年 | 2015 | 龍谷大学農学部開設 龍谷大学農学部実習農場を牧地先に開設 |
平成28年 | 2016 | 8月 国交省は「大戸川ダム建設が有利」として「継続」を決定 |
平成29年 | 2017 | 9月 荒戸橋付け替え工事完了(竣工式) |
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